続・100年予測で学ぶ、中東の歴史
2014-11-01


ところで、Wikipedia によると、ハシミテ家の名前はハシムという先祖から来ている。そういう意味ではハシム家という方が適当。アラビア語ではハーシミーヤという。英語ではハシュマイト Hashemite という。英語では語尾に「アイト」をつけて、何々人の意味にすることがある。東京人はトーキョーアイト Tokyoite という(本当)。じゃ「ハシミテ」はどこから来たの?きっと Hashemite をローマ字読みにした日本人がいたに違いないと勝手に勘繰っている。


で、パレスチナは、ヨルダン川のこっち側。ここも、イギリスの統治領となった土地の一部をイギリス人がそう呼んだだけで、もともとそこにパレスチナという国があったり、自分がパレスチナ人であるという意識を強くもった人たちが住んでいたわけではない。パレスチナとは、聖書に出てくる「ペリシテ人」を指す、英語の表現。


ここに、ユダヤ人が土地を買占めに入ってきて、パレスチナ人は追い出されたわけだけど、分かりにくいのは、なぜパレスチナの土地の元の所有者は自分達の土地を大々的に売り払ったのか?


実は、パレスチナに住んでいた人たちは、パレスチナの土地の所有者ではなかった。所有者はよその土地に住んでいて、パレスチナに住んでいたのはそこの土地で農業を営む小作人が多かった。所有者にとってはパレスチナの土地を売っても生活基盤が脅かされることはないので、儲かりさえすれば喜んで手放した。


パレスチナ人は土地を取り戻そうとして、自分がパレスチナ人である、という自覚を持つようになり、パレスチナの独立も目指すようになった。ところが、これは、シリアから見ると、全然歓迎できない。だってシリアの立場からはパレスチナもシリアの一部だから、独立なんてとんでもない。


また、ヨルダンから見ても、もともと全然違うところから来たハシミテ家からみて、パレスチナは異質で、親近感はない。むしろ、ヨルダン川のあっち側がヨルダンならこっち側もヨルダンだ、というのがヨルダンの見解。ヨルダン川のこっち側に権利を主張するパレスチナ人は目障り。なので、ヨルダンは当初ユダヤ人をパレスチナ人との戦いにおける仲間として歓迎していた。


つまり、パレスチナが誰のものか、と言えば、シリアもヨルダンもパレスチナ人も、皆が「当然うちのもの」と考えていた。


1948年、第一次中東戦争の結果、イスラエルが建国される。この時、イスラエル以外のパレスチナ=ヨルダン川西岸(こっち側)はヨルダン領とされた。ガザ地区はエジプト領だった。


約20年後、1967年、第三次中東戦争にイスラエルが勝って、イスラエルはヨルダン川西岸を占領してしまった。この時、イスラエルはここを返還することで、アラブ諸国と和平を結びたい思惑があったらしいのだけど、アラブ側は、これを断固拒否。これによって、パレスチナは恒久的にイスラエルの一部になってしまった。


言い換えると、イスラエルは確かに土地買占めとかさらにもっと強引なやり方で土地を奪ってイスラエルを作ったけど、今のイスラエルほど広い土地を、そこに住むパレスチナ人付きで支配するつもりは元々なかった、ということのようだ。


少し引用する。


「近代イスラエル建国に伴うパレスチナ人の大規模な強制退去を除けば、ヨーロッパ・ユダヤ人の入植は、パレスチナ国家を破壊したわけではない。そもそもそのような国家は、存在しなかったからだ。じっさい、パレスチナの国民的一体感は、一九六七年以降のイスラエルによる占領に対する抵抗から、ようやく生まれたのだった。......しかし過去がどうあれ、いまでは国という自己認識をもったパレスチナ国家が、たしかに存在する。」 (続・100年予測、p. 141)

こういう観点でのこの地域の歴史が、たった7ページほどでさらっとまとめてある。この本が、全体としてどれだけ面白いか、推して知るべし。



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