戦後入門
2015-11-23


アメリカは原爆投下を罪深いことだと感じていたのか、少なくとも投下直後のしばらくは。


 戦後入門 加藤典洋 ちくま新書


新書なのだけど、厚さ2cmある。内容は深いけど、語り口はとても分かりやすい。込み入ったアイデアを、まず概略を示して、個別の項目を解きほぐして、そして最後にもう一度組み立てなおして意味を再確認する、という感じでゆっくり丁寧に説明してくれる。


そして今まで読んだことのない話と、今まで聞いたことのない提案がかかれている。


僕が一番知らなかったのは、原爆投下前後に、何人ものアメリカ人が投下を阻止しようとし、また投下を罪深いことだと感じていた、という話。以下、本書の第三部から、抜き書き。


科学者たちが、連名で政府に対して原爆投下を考え直すよう訴えた、という話は、なんとなく聞いたことがあった。その先駆けになったのは、世界的に有名な核物理学者のニールス・ボーアだった。


1944年6月に、ボーアは米国のルーズベルトと、英国のチャーチルにも直接会見して、原爆の秘密をソ連に開示して共同管理下に置くように提言した。


1944年11月には、米国政府が原子力計画に向けて組織した委員会が、報告の中で、原子力は将来国際管理機関の下に置くべきである、と述べた。


1945年6月には、やはり政府に指名されたシカゴ大学の科学者たちが、国際管理に向けた努力が必要という報告を提出した。この報告は、日本に原爆を投下すれば、全世界の人々の支持を失う、とも述べている。


1945年7月には、原爆開発にかかわった科学者68名が、トルーマン宛に要請書を提出した(結局届かなかった)。そこでは、日本への原爆投下を厳密な条件のもとのみで行い、その道義的責任を熟慮するべきである、と述べている。


科学者たちがこのように考え、行動したのは、驚くような話ではない。彼らは原爆の威力を、誰よりもよく理解していたし、その秘密を米国が長く独占しておけないこともよくわかっていた。


僕が驚いたのは、米国や米軍の首脳が、原爆投下に後ろめたいものを感じていたこと。だからこそ、彼らはそれを糊塗しようとしていた。


広島への投下直後の大統領声明は、「日本陸軍の重要基地であった広島」に投下した、と嘘をついている。さらに8月9日の声明では、「軍事基地の広島」に投下したのは「民間人の殺戮を避けたいと思ったから」とまで述べている。


陸軍長官のスティムソンは、8月8日に辞任し、9日に声明を発表した。そこでは、原爆投下は満足すべきことであるが、「より深い感情からの影がさしてくるのをどうすることもできない」と述べている。


アメリカのカトリック雑誌は9月号で、原爆投下の罪について述べる。プロテスタントの代表的な神学者も、原爆が使用されたことに「胸騒ぎと不満」を表明する。


保守系の雑誌オーナー、デイヴィッド・ローレンスも批判を発信した。「合衆国は何をおいても原爆を非難し、それを使用したことについて日本に謝罪すべきだ」とまで主張した。


1946年8月には、ニューヨーカー誌が全誌一冊まるごとを使い、ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」を掲載する。このレポートは今もここ[LINK]で読める。広島の投下の現場に居合わせて奇跡的に助かった日本人6人のその日の様子が、彼らと同じ高さの目線で語られている。


これに対し、首脳陣は深刻な危機感を覚え、全力で対抗策を打つ。ハーバード大総長だった、ジェームズ・コナントの指揮の下、雑誌ハーパーズに、引退後のスティムソン名で「原爆使用の決断」という寄稿文を発表する。これも、今もここ[LINK]やその他あちこちで読める。



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